情報整理

何でこんなに問題が起こるのか?

「何でこんなに問題ばっかり起こるんやろう?!」
これは先日上司(リハビリテーション科主任)が何気なく発した言葉です。
上司はあまり意識せずに発した言葉かもしれませんが、僕の心にはすごく引っかかりました。
最近常々考えていたことと繋がったからです。
①腐敗した組織・雰囲気
②賞罰教育・競争原理
③徹底して管理する
この3点です。
アドラー心理学について著されている『幸せになる勇気‐自己啓発の源流「アドラー」の教え』にヒントがありました。
この本では、学校を題材にして語られています。これを組織に置き換えて考えました。
社会全体にとって組織の運営にとって、ルールや法は民主的な手続きよって作られたものでなければならない。リハビリテーション科を一つの民主主義国家であると考える。民主主義国家の主権は国民にあり、組織においては職員にあると考えられる。互いの合意によってルールが作られ、皆に平等に適応されることが重要である。そうすれば職員は能動的にルールを守ることができる。そして運用が不平等となると職員は反発し、それを抑えるために為政者は、有形・無形の力を行使せざる負えなくなる。従って、誰かが力によって抑え込んでいる組織には、根本に不合理があることになります。
例えば組織(リハビリテーション科)を一つの国家として捉えたとき、一般職員は国民です。では役職者はどのような人間であるか?統率するリーダーであるから大統領?首相?上記の原則から考えるとそれは違います。役職者は一般職員に選ばれたわけではないからです。そこで大統領を名乗るのであれば、その国家は民主主義国家ではなく、独裁国家になってしまいます。組織は、役職者が統治するのではなく、一般職員一人一人を主権者とした民主主義国家であるという原則を忘れた役職者は、知らず知らずのうちに独裁をしいてしまう。組織で問題ばかり起こるのは、職員一人一人の問題ではなく、役職者に能力が無いのではなく、腐敗した独裁国家となっているからです。独裁者が率いる組織は腐敗を避けられないのです。
その根拠は「賞罰」です。これは「教育」における褒めることや叱ることの是非に繋がっています。
アドラー心理学では、褒めることも叱ることをどちらも否定しています。
叱ることの是非について。職員が何か問題を起こした際に一つ考えられるのは、そのことについて知らなかったという可能性です。そこで必要なことは、叱ることではなく教えることです。感情的にならず。人は誰しも知らないという地点からスタートしています。知らないという事実をもって厳しく叱ることは理に適っていない。
しかし、職員は問題行動が良くないことであると知りながら、それをすれば叱られることも理解していながらその行動を取っている。あまりに非合理的です。それは何故か?。アドラー心理学では、人間の問題行動について、その背後に働く心理について5つの段階に分けて考えています。
1.賞賛の要求→褒めてもらことを目的として行動する。協同体の中で特権的な地位を得る事が目的。その為に不正行為などもする。
2.注目喚起→1.の目的が叶わないなら、とにかく目立つことをする(叱られてもいい)。協同体の中で特別となる・居場所を作ることが目的。
ここまでは「尊敬」を示すことで対処が可能。
3.権力争い→誰にも従わずに戦いを挑み、特権的な地位を得ようとする。反発・不従順により自らの力を証明した。争いの場から退散することが大事。叱責や何かしらの態度を示すことも逆効果。
ここから先の段階に突入してしまったら当事者同士での解決は難しくなる。利害関係の無い第3者へ解決を依頼しなければならなくなります。
4.復讐の段階→「かけがえのない私」を認めてくれなかった人へ愛の復讐を画策する。愛してくれないなら憎んでくれ。憎悪によって注目して欲しい、繋がりたい。徐々に孤立してしまう。ストーカーや自傷行為、反社会勢力に加入、不潔になることもその一つ。
5.無能の証明→これ以上私に期待しないでくれ。そう信じ込むようになる。これ以上傷つかない為に。最初から諦める。
全ては、協同体の中で特権的な地位を得るという目的に根差している。そして問題行動がどの段階にあるのかを考えて対策を講じることが重要となります。問題行動の大半は、1~3までの段階に留まっており、そこから先に踏み込ませないように援助することが重要となります。
叱ることが有効でない根拠→いつも怒鳴っている、叱っている教育者がいること。もし叱るという手段が有効であるならば、初めの何回か叱っておけば問題行動が無くなるはずなのに、いつも叱っていること。問題行動は、叱られることも含んだ上で成り立っているから。叱られることで英雄的な立場を得られるから。
問題行動の原因を聞いても、責任逃れや言い訳しか出てこない。そうではなく、目的を明確にし、これからどうするかを考えなければなりません。その為にはコミュニケーションが重要となります。コミュニケーションの目的・目標は、意志の伝達ではなく、合意の形成です。伝えるだけではなく、伝えたことが理解され、一定の合意が得られたときに初めてコミュニケーションが意味を持ちます。言語によるコミュニケーションは、合意に至るまでに相当な時間と労力を要します。さらに費やされるコストの割に即効性と確実性が乏しいのです。そこで上手くいかないときに最後に選ぶ手段が叱ることです。叱ることはどこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段。未熟な行為である。つまり叱るという行為の内実を考えると、言葉でコミュニケーションをすることを避け、手っ取り早く屈服させようとするという、教育者(役職者)として未熟な行為であるとということになる。教育側がどのような考えで叱ろうとも、教育される側からすれば叱られているという事実は変わらないのです。
アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っています。教育者には裁きを下す特権など与えられていないのだから、問題行動を前にした時、法と秩序を守るのではなく、目の前にいる職員を守ることが大事。
教育者(役職者)とはカウンセラーであり、カウンセリングとは再教育である。
カウンセラーが武器(叱責)を構えてはいけない。そんなことをすれば、この人は未熟な人間であるという洞察が職員に生まれ、尊敬されなくなってしまう。怒りや暴力を含むコミュニケーションは、尊敬が存在しない。軽蔑を招いてしまう。
問題行動は変えられない。変えられないことばかりに執着するのではなく、眼前の変えられることを直視する。
問題行動に対して、反省だけさせても意味がない。自分の行動は自分できめることができるという自立心を持たせることが大事。未成年の状態で留まっているのは(真の自立に至らないのは)、自分の理性(知性などを含む能力)を使う勇気を持てないから。自分の理性を使う勇気を持たせることが自立へ繋がる。
では何故人は自立することを拒絶するのか?。それは、自分の理性を使わずに誰かの指示で動く方が楽であり、責任を負わなくて済むから
また、周囲の大人(役職者)は、下の人間を未成年の状態で置いておくべく、自立が如何に危険であるか、リスクなどを吹き込む。その目的は、自分の支配下に置くこと。気づかないうちに行っている。その結果自分では何も決められない部下を育ててしまう。それは何故か?
役職者は部下に自立されることが怖いから。もし部下が自立し、役職者と対等になったら、権威は崩壊するから。縦の関係を壊されるのが怖いからです。さらに、自立した部下が失敗をした時、特に他者に迷惑をかけたとき、役職者は当然監督責任を問われる。それを回避する為にも部下を支配しようとする。冒険を許さず、無難で、けがをしない道ばかりを歩かせるなど、可能な限りコントロール下に置く。部下を心配しているのではなく、自らの保身のために。だからこそ、組織を運営するリーダーは「自立」という目標を常に意識しなければならない。
部下に「上司のおかげで成長できた」と言わせる役職者は、本当の意味での教育には失敗している。
部下の自立に貢献できたという貢献感を感じることが大事。
具体的には、許可を求められた時に、自分で決めて良いことがたくさんあることを伝え、自分で決めるに当たって必要な知識や経験を提供すること。「尊敬」できていれば自分で決めさせられる。自分の行った行動の責任を最終的に問われるのは本人だけ。役職者にできることは見守ること。

褒める事の是非。褒める事は、能力の有る者が、能力の無い者に下す評価であるから、褒めてはいけない。
組織は民主主義国家であるということに繋がります。独裁国家では、リーダーの一存で全てのルールが決まります。そのルールは、かなり恣意的に適用されます。しかし、そのリーダーは嫌われているかというとそうではない。それは何故か?
そこに苛烈な賞罰があるから。逆らえば怒られ、従えば褒められる。従って部下は、褒めらる為、叱られない為に行動することになる。褒められることが目的となった人達が集まった組織では、競争が生まれる。他の人よりも如何にして上司に好かれるかという信条に支配される。競争相手とは敵という気持ちを持ち、仕事をすると、駆け引きが生まれ、不正が生まれる。組織の中で競争が生まれた場合、何をもって勝ちとなるのか。基準が明確ではない。仕事の成果以外も判断材料になってしまい、自分だけが認められようと人の足を引っ張る人も出現する。だからこそ。組織では、本当の民主主義が成立していなければならない。
競争原理ではなく、協力原理で運営されることが重要。他者は自分の仲間であるという認識を持てることが大事。
問題行動が起こる原因は、個人にあるのではなく、組織全体に蔓延した競争原理に問題があると考える。組織全体の病(競争原理)として、問題行動が起こる。問題行動を起こした個人に目を向けるのではなく、問題行動が起きる協同体に目を向ける。個人を改善するのではなく、組織全体を変えることが重要。競争原理を一つずつ改善していく。縦の関係を無くしていく。協力原理を貫く為には、横の関係(誰とも競争せずに、人々はそれぞれ違っているが、対等である)が必要。そうすることが、協同体を作る意味である。
人間は身体的には弱いが、心理的にはすごく強い。生の根本原理を考えても競争することは理に適っていない。いつでも他者との関りを希求している。
人間な根源的な欲求である、所属感を得るために、特別な地位(居場所)を得ようとする。その為に承認を求めようとするが、承認(褒められること)には終わりがない。永遠に満たされることがない生を送ることになる。
従って、自らの意志で自らを承認すること(自立)が大事。依存(自分の価値を他者に決めてもらうこと)ではなく、自立する。
特別ではなく、ありのまま個人であっても、居場所はある。普通であってもいい。

自分の今の行動を見直さなければならないと感じつつ、どうすれば今の組織を変えることができるのかを考えなければならない。

ABOUT ME
masaMG
地域の医療法人にて病棟リハ・訪問リハを兼務し、地域高齢者へのリハビリを理学療法士として実践。それと並行して、組織内のリーダーポジションとして、地域のリハビリテーション病院でのリハビリ、役職者のサポートと後輩教育・管理を担当。NLPを中心としたコミュニケーションを活かして、法人内での多職種・多事業所連携だけでなく、地域のネットワークを構築し、地域での連携強化にも尽力。 それらの経験を基にして、企業が運営するデイサービスの施設長へ就任。中間管理職として、組織運営や地域への貢献に対して力を注いでいる。 【ブログの主な内容】 若手マネジャーセラピストとしての苦悩や葛藤、経験について、コミュニケーション・人への関心を基にして書きます。 マネジメントやリーダーシップについても言及。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。